mardi 20 décembre 2011

風邪で寝てる?ママ子



ママ子の話。先週の金曜日にショートカットという面白い名前の友人からうつされた風邪ってやつが、少し筒悪くなって、昨日は僕の前でくしゃみを3回もしたものだから本能で猫パンチを深夜にお見舞いしたら、本人曰くもっと悪くなったそうである。朝トイレにたったときに。パパ子に『赤い大福みたいに腫れてる』といわれてその精神的ショックに耐えられず寝込んでしまった。パパ子が出かけ際に『携帯とって枕元において』なんて弱 々 しく言っていたのに、彼が出かけると嬉々として携帯があったとこより遠い部屋からパソコンを取り出して、ミクシーやってるのを僕は知っている。それで日本で30年前僕は生まれてない昔に会った友人とミクシーで再開したらしく、彼女に『ブロブロッグ書いて』なんてお願いされたもんだから、今度は僕に書けって強制してるわけだな。タイプしてるとこ撮りたいというから、絶対嫌だといった。人間は異端が嫌いだもの。イエスさんだって、磔なんかにされたしさ、いまさら誕生日祝ってもらっても死んでからじゃ浮かばれないよ。ここに書いてあることは絶対ヤラセだとみんな信じてるだろうし、証拠がなければ、可愛い猫ちゃんね~になるんだからそれでいいじゃない。で僕の写真は、鼻をかんだティシューと猫というコンセプトになった。

lundi 12 décembre 2011

レモン猫

未公開だった、レモン猫でござい。



動物虐待協会には連絡しないでください。飼い主たちはまじめにかわいいと言って写真を撮ってます。ちょっとレモンくさいけど彼らの楽しみに参加してあげた僕でありました。

なんでしょう?

なんでしょう?
 ぼくだよ。
 知ってるって?いつもだって。。
 そうだよ、僕はいつも君の事待ってる。君がお風呂に入ったら、
お風呂の横で闇にまみれて待ってる。

僕って、律儀って言うの?それともストーカーって言うの?忠猫ブロちゃんですよ。

そうだよ、僕はいつも君の事待ってる。

dimanche 6 novembre 2011

ベットにウンコをしなかったからえらい


昨日の夕食時にベットにウンコをしなかったから偉いとパパ子とママ子は褒め称えるので正直どう反応していいか わからなかった。

昨日ママ子の悲鳴でストーリーは始まる。ムフターの劇場に招待状のことを確認した彼女は意外なことを知る。劇場は7時に始まるのではない。5時に始まるのだった。ママ子は7年パリにいてもまだ17時という読み方に慣れてない。時々大失敗して、パパ子にしかられてる。

が問題はパパ子といっしょに行くランデブーではなく、友人と、それも新しい友人を誘ったのだ。電話しても出ない。今から電車に飛び乗れば間に合う。。が友人は出なくて何も知らずにうちまでやってきたのを窓から確認。ママ子はさよならも言わずにドアから飛び出て言った。

何だかそこらへんのこと話が決まったらしく2人でアパートに上がってくるではないか。。あれ??

結局こういうことになった。友人と夕食を食べる。シアターは断念。夕食は彼女のボーイフレンドが一人足され、ベルナデットが家に来て、パパ子がcd焼きに来るだけで夕食も食っていかないのかと焼餅を焼き始め、ベルナデットが外でいっしょに食べる友人全部呼ぶことになった。皆・電話しまくり。
ベルナデット自身とポールと、そのまた友人と、結局パパ子とママ子総勢で7人。

ところが2人が風邪だとか腰痛だとかで総勢は5人となった。皆・電話しまくり。

ベットにウンコ・マニフの経験があると暴露したのはママ子とベルナデット。

そのおかげか知らないが、皆かわりがわり遊んでくれた。そして皆が、ベットにウンコをしないでねと僕に懇願していく。

僕は赤いエプロンしたお地蔵さんにでもなったように感じた。

といっても人間というのはよく喋る。喧嘩もするし、、まるでこれじゃお芝居見に行かなくてもいいような感じ。結局うるさいのはいつもと同じだった。ただし、ポールとママ子の日本人の新しい友達は静かだった。ポールはもともと静か。ママ子の日本人の新しい友達はフランス語がまだ駄目だそうだ。今度皆で猫語でも喋ってくれたらわからなくて うるさくなくなるだろうと思う。

ベルナデットが次の日nyに発つとかで、早く帰ったので、僕はちょっとホッとしたかもしれない。いや・彼女のことは好きだよ。僕をパリに連れてきたのは彼女だしさあ。タタ・ベットと僕たちは呼んでいるんだ。ただ、タタ・ベットとパパ子は声が大きい。2人そろうとすごいよ。

ママ子は皆に、ブロは年取ってしまったから性格が難しくなってねえ~と説明している。年取ってしまったからは余計なことだぞ。まったく。権利の主張をするようになったといってもらいたい。ここはフランス。やっぱりマニフは大切なんである。

朝起きたらママ子がまだ頭痛いといっている。

パパ子は、今年冬初めてボク用のストーブつけてくれた。ベットにウンコをしなかったから偉いと。


ベットにウンコをしなかったから偉いと鯛焼きといっしょにラブリーな写真を撮るとわけわからないコンセプトでモデルになった。やらせキスをさせられた。
猫も結構大変だということを読んでるあなたたちはわかってくれるかな。
でもねえ、僕はパパ子やママコやその友達が大好きだからねえ。。パリに来たことほんと嬉しいのだよ。

jeudi 27 octobre 2011

このごろ僕は怖れられる存在になった。


このごろ僕は怖れられる存在になった。

ウンコ・マニフェスト、またベットの上にやったからね。それも ウンコしたブランケットは、ドライクリーナーに出され、今度ウール100パーセントの毛布の上に堂々と僕の主張を描いたら、パパ子がかなり怒った。クリーニング代は高いらしい。

しかしながら、かなり対応は改善された。

2人とも気を使って、僕といっしょの時間を作ってくれるようになった。

僕といっしょの時間というのは、必ずベットの上になる。ここが僕の縄張り。

昔はコンピューターのキーボードにどかんと座ったものだが、一回コンピューターが僕にせいでお釈迦になったといって、コンピューターの上は止めてあげた。

それでも僕はいっしょにいたいので、うしろのカウチにどかんと寝ていたが、どうもよくない。僕はタッチしてもらうのが重要。そういうのがふれあいでしょ。

で、ベットでひたすら待つのが僕の日課になったが。。どうもいけない。あいつら、コンピューターきちがい。

ということで うんこマニフェスト。

パパ子は、ベットに寝転んで本を読む時間ってのを作ってくれた。それも毎日。
ママ子の方は、帰るとかならず、頭ナデナデするようになった。
ウンコしないでね~と二人は懇願するようになった。
ママ子は疲れたら==特にエクスポゼが終わって気が緩んで、持病みたいな小室返しばかりなったらしく、そのクリーズが終わった後、小さいコンピューターもってテレビつけてベットで寝ている。
ということで僕は彼女をあったかくしてあげている。
でも、つい、僕は手の上に頭を乗せて寝てしまうので、何もコンピューターに書けないとぶつぶついわれた。

ママ子は、写真を見るとかんじられる方もいるとは思うが、ちょっとお疲れ目らしい。寝てるときも、足がつっておきて、自分でナデナデして、呼吸して何とかしてるらしい。だから睡眠時間が少ないらしい。

ということで、僕のウンコ・マニフェストはしばらく止めようと思う。ママ子、僕が守ってあげるからね。===といいながらママコガ小室返しにあってたときに叫んでたので噛んでしまった。頭がぶっと。だって毛布の下で叫んでたから、ママ子だなんてわからなかったから、がぶっといってしまったのだ。足がひどくつりながら、ママ子の最初の言葉は、

「御免、叫ばないからウンコはしないでね~」だった。ちょっとかわいそうになった。

vendredi 14 octobre 2011

働くって大変よ。大変。あんたも働いてみなはれ。

ママコは言う。
働くって大変よ。大変。あんたも働いてみなはれ。

それでストレスがたまってるのか。僕の頭にこんなものを乗せてパパ子と写真写して遊んでる。


猫は我慢の子でした。

mardi 4 octobre 2011

僕のマニフェスタシオン

ママコは結構朝から外に行っていて、8時ごろ帰ってきた。

なんせ うるさく パパ子と騒ぎ出している。うるさあああい。

今日は初バイトの日だったらしい。
いっしょに働く人がすごく優しくて、2時半までの仕事なのに、何だか話し出したら止まらず、4時ごろまでいたらしい。
パパ子がまだ首になっていないのか~とからかってる。
いろいろ失敗はしたらしい。
まだ何も覚えていない間に客が来てあわわわわと仕事していたとか、初日からお茶碗割ったとか。。客に頑張ってね~なんて笑いながらいわれたとか。。
パパ子がお客さんは全部フランス人とか聞いてママコのフランス語をからかってる。
うまく通じたの~とか。もちろんよ~とかいって彼女は応戦している。
何だか失敗談ばかりなんだけど楽しそうに話している。
4時ぐらいからは、アルクに行ってエクスポゼの打ち合わせをしたらしい。ドネーションもして、ジャン・ピエールとかシモンヌとか、ジュリエットとかとか わいわいと話したらしい。ねたは。。そのエクスポゼの食事は、何出すかであった。
カルカゴからのランデブーの変更の電話も彼女は心配してたたがそれもかかってきたらしい。
というわけで何もかもうまく行ってるらしい。
そんなで楽しそうに帰ったのが8時ごろ。

デモね。。僕にボンジュールとも言わないし、ブチュブチュってキスもしない。
それで、パパ子と騒いでる。
うるさい。
僕の耳は何でもキャッチできるんだからね。うるさあああい。

ということで彼女の目のまん前でベットの上でウンコをした。

これがいつもの僕の不平の言い方。じゃないと人間はわからない。

3個ぐらい落としたときにママコはきゃあ~と悲鳴を上げ、パパ子が飛んできて4個目をし終えたとこでトイレに強制撤去させられた。ママコは。ヒーヒーいってブランケットを洗ってる。2人でくさいくさいという。僕は椅子の下に隠れる。しばらく気をつけて2人を観察。

そうこうして==というか2人は今度は夕食作りに忙しかった==ほとぼり冷めたかなと思ったので椅子の上で堂々と丸まっていた。僕はいつも近くにいるってのが仕事だから、悲しい習性で怒っていてもそうしてしまう。。。。忠猫はつらし。

ママコがちかづいてきて、ブチュブチュってキスをする。

「 御免御免、これしてなかったね。」

やっと君はわかったか。。。遅いなあ。。こんなんで大丈夫かなあ。。バイト。日本人同士だと心を読みあうっていうじゃない。そんなこと彼女にできるのだろうか?? 猫の気持ちも読むのが遅いのに。

がんばってね、ママコ。猫缶 稼いできてくれ。

この写真が僕のマニフェスタシオンのポーズ うんこは非公開。





lundi 3 octobre 2011

ワークショップ

ワークショップ。

ママコが今 月曜日だけいってるシアターのテクニックを使ったプレゼンのテクをあげるワークショップをしている。ママコが言うには、今回、無料で受けれることになったので嬉しいと いっておった。今まで探したがお金が高くて行けなかったらしい。彼女の目標はプレゼンのテクでは無いという。フランス語で人前で怖いと思わなく話せるようになりたいという。

あんな楽しそうにブロークン・フレンチでも手振り身振りで話す彼女が、美術館のベルにサージュでも喜んでプレゼンしてた彼女が、フォーマシオンでもフランス人に混じって高い点稼いできた彼女がどうしたことだとちょっと僕は疑問に思った。

本人に言わせると、フランス語を喋るときに「私って 何だか馬鹿みたい」とあせるそうである。特に電話で数字を言われると もう あがって あわわとなって 聞けなくなって 電話自体が怖いらしい。

勝手に喋らせとけばブロークン・フレンチでも手振り身振りで何とかなる。しかし質疑応答など、失禁ものらしい。なぜかというと、質疑をまず理解しないといけない。
彼女は人の話がきちんと聞けない。聞けないのは、聞けるかもしれないのにあせってると勝手に耳が絞まってしまうそうである。
自信が無い、そこだな。
もちろん、言語はつながってるので、日本語だって、あいつは人の話し聞かないとこがある。
だから 聞 き た い と思うようになることって、まず第一段階かもね。

ちょっと僕の耳でも貸してあげたい。高性能だぜ。

もちろん彼女が今の時点で自信ができたとしてもどれだけ彼女のフランス語が伸びるかは怪しい。フランス語を磨くクラスなんじゃないからね。でも、心が解放されたら まだ ましになる。。それよりも、自分が気分が良くなる。。そうすればもっと聞くようになる。そうすればもっと気分が良くなる。
そこらへんに期待しているらしい。

今日で2回目なんだが、彼女は非常に楽しんでいるようである。
参加者のフランス人たちは、心の問題を抱えてる人が多いという。強度の恥ずかしがりや。会話が止まらなくなる人。欝が入ってるところからやっと抜け出した人。
つまり、フランス語に困ってるのは彼女一人だけであった。

クラスは、お遊びみたいなことばっかりやっている。
ヨガっぽいことやって、
呼吸練習、
大声出す練習、
歩きながらこんにちはと自分を紹介する練習
2人でグループになって、相手を感じながら後ろに下がりv字バランスをする遊び
それから、皆で劇ごっこ、 何でもいいから発表。
そのあと、ランダムに選んで、他のしたことをコピーする、ミラー劇ごっこ。

これは2日目のメニュー。

心の問題を抱えてる人というのは、非常に繊細である場合が多い。それで非常にいい人が多い場合が多い。といっておった。
相手の心の琴線に触れることに毎回感動している彼女である。

たとえば、引きこもりの男、ステファンとv字バランスをしたらえらく感動していた。ステファンは敏感に彼女を感じ取ることができるそうだ。すごく高性能なアンテナ持ってる。そこは学ばねばなあといっていた。

2回目を終えて彼女はシアターというのはマジックだといっていた。



dimanche 2 octobre 2011

浮気

うちのパパ子とママ子はこういう、「 お前が一番かわいい。。こんなかわいい猫はいない。。世界一の猫だ。」といっているのでついごろごろサービスが長くなる。ごろごろサービスは彼女がベットに行くときはーー深夜で時間の変動ありの疲れる仕事だ。彼女があまりにも寝ないときには寝ろと抗議に行く仕事もあるーーそれで、彼女が寝るとき、僕は寝ていてもはっとおきて、いっしょにベットに行きーー時々振り返ってちゃんとついてくるように促しながらーーー、彼女の胸の上にヒョイと乗り、ごろごろサービスをする。朝になってパパ子が起きるのでそのときは顔をぽんぽんとたたいて起こすのが僕の仕事。それとパパ子が夕方テレビを見るときはマッサージしてくれるのでほいほい付き合う。ごろごろサービスは万全。
それを僕は5年間しなかった日はほとんどない。僕が犬のように忠実な猫と評価されるのはこの辺が理由。

パパ子なんかこれを僕の仕事と呼ぶ。お金稼いでないものはサービスで稼ぎなさいと、冗談で言っている。僕の忠実さは愛だと無理やり同意させられるときもある。

愛とはなんだろうと僕は考える。

確かに僕はパパ子に飼われることを選んだんだ。ある意味で意志が強い猫だと思いえる。バーバラは好きだったが、リリーちゃんが幅利かせていて僕は触ってもらえない。バーバラはアレルギーだから僕の毛が舞うので触れられないのだ。注射を打ちながら僕を飼っていた。バーバラの今は別れたボーイフレンドは僕は嫌いだった。だからボーイフレンドにも嫌われたよ。そんな時いつもパパ子はバーバラの個人教授でいつもよくしてもらったのさ。それでバーバラのアパートが改築のときにパパ子の家に遊びに行った。そこにはまだ結婚したてのママ子がいて、舐めるように触るんだよ。僕の体に顔埋めてくる。パパ子と僕を取り合いになる。それで僕はこの2人に恋に落ちたってわけ。

不幸にも彼らはフランスに引っ越すことになっていて、僕はすごく腹が立った。フランスに立つ前日、バーバラの家に泊まりに来た。そのときはほんとにツーンと無視した。そうしたらママ子が時間をかけて優しく僕にアプローチしてくる。やっぱり、好きだなと思った。

彼らの去った後は、ドアの前にい続ける、彼らが帰ってくるのを待っているような忠犬行動で自分の意思をアピールした。バーバラに気がついてもらえた。ということでnyとパリの間で僕の養子縁組の話がまとめられた。パパ子のもと彼女がエールフランスで僕をパパ子達のところまで運ぶ役目を引き受けてくれた。

だから僕は言う。愛とは触りあえることだ。それが僕にとっては愛だ。

でも、バーバラにはある意味浮気したことになる。バーバラは空港であんまりおいおい泣くので、僕は申し訳ない罪悪感に襲われた。

浮気なんだけど、パパ子やママ子は僕を通して無類の猫好きになった。道端で猫がいるともう駄目だ。触りたくて 写真にとって うずうずらしい。写真も見せてくれる。猫ってどの猫も綺麗だと思う。でも2人はいう「 お前が一番かわいい。。こんなかわいい猫はいない。。世界一の猫だ。」

僕は生まれたときの記憶は人間が捨てたシェルターの中だった。それでかなり前のバーバラのボーイフレンドが、バーバラのクリスマスプレゼントに貰ったわけである。そのときから結構ラッキーな人生だった。パパ子やママ子は「僕たちよりも先に死ぬな」とうるさい。でも そうしてあげたいなと思う。



このごろふてぶてしくなったといわれる。以前はこんな格好では寝なかった。


パリに来た最初のころの写真


美味しい匂いがいつもするんでnyよりパリにはもっとうまい食べ物があるんじゃないかと食べ物の向上を訴えハンストを決行。手作りから高いビオの猫缶までいろいろ試してくれた。感謝。
今はビオのみ。水も僕だけ水道水ではない。


ny時代あずけられたときバーバラに手紙を出した。


こんな手紙も出した。僕もバーバラの事は大好きだった。


愛というのは時々うまく行かないこともある。バーバラは僕を愛していたが僕の望んだ愛じゃなかった。


やっぱり、こういう触れられること、そういうのがすごく大切だ。


この写真はママ子が入院したとき眺めていた写真なんだ。触りたくて触りたくて恋しいと思ってくれたらしい。そういうの僕好きだな。好きな人と暮らすのはほんとにいいね。そう思わない??

君たち、飼い主に愛されてる? 飼い主愛してる?

samedi 1 octobre 2011

またニームに行って帰ってきたよ

またニームに行って帰ってきたよ。
いやあ、しんじられない、この夏は2回もニームに行って帰ってまたニームにいってきた。
何が苦手って。。
猫バックの中。
想像してみてよ。。昔の駕籠屋が担いだ駕籠みたいなもんよ。ゆっさゆッさゆれるわけ。
それではいたりうんこしちゃったりおしっこ漏らしたりするようになってしまった。情けない。昔は飛行機に乗ってフランスに来たことがあるのに。。やっぱり年かな??

パパ子やママ子はいちよう気を使ってるらしくtgvは一等車だし、タクシーしか使わない。

でもやっぱし駄目。失禁 悪いとは思うんだけどねえ。

今日はニームからかえってきて、おしっこ漏らしちゃったので、何だか恥ずかしいなと思ったら、ママ子が、僕のことを『うんこたれ』と呼ぶので腹が立った。彼女はくさいくさいといってバックを洗っていた。そんな。。。傷ついた。フーフーいって怒ったら、マタタビをくれた。こんなもんで騙される悲しいわが身。。ニャオンニャオン。
ということで僕の写真。



samedi 16 juillet 2011

このごろは結構忙しい。

このごろは結構忙しい。
ママ子はコンピューター買ってそれ抱えて日本にいってきた。福島爆発直後で日本在住外人が逃げてくるその矢先にパパ子とママ子は日本に出かけた。いろいろ喧嘩してたけどパパ子が絶対いくってきかなかった。ママ子は癌にまたなったら嫌だって言っていた。でも彼に根負けした。パパ子一人だけで行かせたら被災地に飛んでいくだろうから危ないから行くっていってたよ。

ということで、僕はカトリーヌの家に行った。あそこは食べ物が美味い。

それで1ヶ月過ぎて、ママ子とパパ子はパリに帰ってきたその足で僕を迎えに来てくれた。ヤッパ家族といるのは楽しいよね。ママコとパパ子は日本がたいそう好きで、綺麗な写真とかいっぱい見せてくれた。猫の写真もいっぱい撮って来た。僕はジェラス。

そうこう、してたら、今度はニームに行くことになる。

ニームはいいのだけどちょっと問題がある。天井が高いから音が響きまくる。それと4つの部屋がつながってるので、音がいろんなとこから飛んでくるので非常に迷惑。それに日が暑すぎる。パリだと日光が少なすぎるからせっせと日光浴してるんだけど、ニームではノーサンキュー。ブロのから揚げになってしまうよ。だから一番小さい部屋で過ごす。でもそこは朝、鳥の声で五月蝿すぎ。
それでも、パパ子は ニームはいいだろういいだろうと押し付けるので、うんと言うまで許してくれないので、そうだと答えてる。ママ子は、知ってかしらずか、僕の大好物のコケットを用意してくれた。珍しかったのは、tgvの一等車に乗ったこと。変なポーズしていたところ写真に取られまくったことだと思う。

今はパリにいる。もう直ぐ、ママ子はバルセロナに行くからいなくなる。
パパ子は直ぐにでもニームに戻りたいといってる。でも8月にジャポネに貸すからその直後戻るといってる。まま子は9月じゃないとニームにはいけないといってる。ジャポネがパリに来るんで遊びたいそうだ。それで僕は誰といっしょに行きたいかとパパ子に聞かれた。
ちょっと返答に困った。

でもまた旅行。忙しいなあ。




lundi 14 février 2011

La vie avec Blo===パパ子 écrit

Blo fait partie du tableau de la vie. Enfin, la nôtre de vie ! On ne peut pas envisager la vie sans Blo. Lui et nous, sommes présents l'un aux autres et les autres à l'un presque 24h par jour. Si nous sortons, Mamako et moi, Papako, notre plaisir, c'est, depuis le rez-de-chaussée, d'entendre Blo miauler parce qu'il nous a entendu monter. Notre plaisir est aussi de nous mettre à table pour notre dîner à trois. Blo a son tabouret et son assiette. Même s'il n'aime pas ce que nous mangeons -- surtout si ce sont des légumes macérés japonais -- il reste là rien que pour être avec nous. N'importe quand dans la journée, quand Blo ne dort pas, il vient nous chercher et c'est lui qui dirige les activités : faire le lit (attention, surtout ne pas le laisser trop longtemps défait !), lui servir de coussin sur le lit ( eh oui, un plus du lit, il faut à Blo un « coussin chauffant » humain !) lui servir d'ascenseur (E-RE-BE-TA) vers l'étagère du placard d'où il veut ensuite sauter sur le lit sous les applaudissements de la foule … et bien sûr manger. Il a une façon très directe de faire passer les messages : il s'approche de notre chaise à l'ordinateur, s'appuie d'une patte sur le rebord de notre chaise, et de l'autre, il nous tapote ou pousse sur le bras jusqu'à ce qu'on lui prête attention, lui parle, et, éventuellement, le suive. Le suive où ? Eh bien à la cuisine parce qu'il a faim, ou dans la chambre pour ronronner et déborder d'affection « collante ». Mais tout cela est bien agréable. Blo, c'est la vie avec tout ce qu'elle peut offrir de mieux : la chaleur, la compagnie, l'affection, la complicité confiante. Cela fait bientôt six ans de bonheur avec lui. C'est déjà cela de pris à la vie ! On ne peut envisager sérieusement le tableau de la vie sans Blo. 

jeudi 20 janvier 2011

あせってる・ママコ


ママコは桜を見に行くらしい。どこにって日本。僕はまたカトリーヌの家に行くのさ。彼女の家はジャンピエールが料理家なので食べ物は良いね。

それで早速ママコはこの写真を自分のpcの壁紙にして花見気分で仕事してる。彼女にしたらパリ6年目で始めて日本に帰るのさ。かえるっていっても彼女は、フランス国籍だけどね。日本に行くって気分と帰るって気分半分半分らしい。
どうも日本にかえるのは怖いらしいのに、桜は見たいし、友人には会いたいらしい。
浦島太郎が桜の木に登って枯れ木に花を咲かせましょうと新しく買ったパソコンでメール打ってるようなちょっと風変わりな彼女だから、準日本人に混ざるのが怖いんだって。
新しく買ったパソコン。。。まだ彼女は買うかどうか迷ってる。でもねえ、どうして彼女はお金がなくなるとそのお金を全部使うような買い物がしたいという傾向があるらしい。nyで、会社やめて預金がないってのに1000ドルする皮のコートを紙一重で買いそうになったのよ。それも会社辞めた直ぐあとのサンフランシスコに旅行中によ。

今日もパソコンのスペックみながらうんうん悩んでいた。400ユーロだって。
それで仕事はないかクライアントに手紙書いたりしてた。僕に向かって、テレビに出て稼げって言うし。。あせりまくってないか ?


買うほうにかける??

ちょっとだけならママコの為にテレビに出てもいいかと思った。